6st

妄想には勝てません


 東京ドーム20個分という広大な敷地を持つ櫻花学園。
 敷地面積も生徒の人数も国内最大級のこの学園には、数多くの部や同好会が存在している。
 活動人数2名という、最も小規模な同好会が「バディ愛好会」だ。
 最も規模が小さく、学園の生徒でもその存在を知らない者すらいる。
 形式上の顧問である、今年の春から赴任してきた新任教師の遠藤ですら、その活動内容を把握してはいない。
 もっとも活動内容とは言っても、放課後に空き教室でバディについて語り合う。それだけなのだが。

「それじゃあ、僕達は帰ります」

 学校の時計が5時を回った頃、拓也は日課となった報告する為に職員室へと訪れていた。

「はい。気をつけて帰るのよ」

 大学卒業と同時に赴任した遠藤恵理子は、教師全員に与えられているノートパソコンと格闘しながら、傍らに立つ拓也へと笑顔を向けた。
 国語教師である恵理子は、現代人としては極端に機械に弱いタイプである。
 拓也達がバディについて語り合っている間、職員室の隅でノートパソコンと格闘するのが日課となっていた。

「……先生。何なら僕らが教えましょうか?」

 パソコンオタク。厳密にはバディオタクである拓也は、見るに見かねてそう声をかけようと思った事もあったが、ろくにマウスも使えない相手となると厳しい物がある。
 貴重な放課後の時間の浪費にすらならないと、その時は口を出かけた言葉を飲み込んだ。
 しかし、こうも毎日毎日ノートパソコンを睨み続けている姿を見ては、流石に放っておくこともできない。

「……そこ。そこは右クリックですよ」

 何やらファイルを操作しようとしていた恵理子に、横から画面を覗きこみながら拓也が言った。

「ほえ?…あ…そっかそっか……やった!」

 どうやらファイルをコピーしたかったらしい。
 無事にコピーを完了した恵理子は、思わず立ち上がって傍らの拓也へと抱きついていた。

「わっ…!?」
「初めてコピーできちゃったよ〜」

 無邪気に喜んでいる恵理子に対し、拓也は突然の出来事に狼狽しつつ頬を染めている。
 小柄ながら細身でスタイルの良い恵理子に抱き付かれると、丁度拓也の顔の辺りに恵理子の頭の天辺が来る形になる。
 鼻腔をくすぐる軽くウェーブのかかった髪に、バディ以外では女性と1m以内に近付いた経験の無い拓也は動揺を隠しきれない。

「せ、先生っ……」
「あ、ゴメーン。でも…凄いんだねぇ、パソコンに詳しいんだ?」

 舌を出して笑いながら拓也から離れると、改めて恵理子は拓也の顔を覗き込むように下から見つめる。
 薄いレンズの目がね越しに見るその瞳は、キラキラと輝いて拓也を尊敬の眼差しで見つめていた。

「いや、まぁ…それ程でも…」

 照れ隠しに横を向き、後頭部を掻きながら言う拓也。
 すると不意に恵理子が何やら思案気な様子で俯き、何らや口の中で呟き始めた。
 今度は怪訝そうな表情で拓也が恵理子の顔を覗き込む。

「せ…先生?」
「うん…そうだよね……やっぱり……」
「先生ってば」
「よし決めた!」

 いきなり恵理子が顔を上げた為、その愛らしい顔が拓也の眼前に迫る。
 拓也は慌てて半歩程後ろに飛び退いた。

「わっ!」
「ね、お願いがあるの!」

 両手を胸の前で合わせ、小首を傾げて唐突に「お願い」のポーズを取ってみせる恵理子。

「な、何でしょう…」
「これからさ、毎日とは言わないから…放課後にパソコン教えて欲しいんだ」

 全くのパソコン音痴である恵理子にしてみれば、拓也は手っ取り早くパソコンを教えてもらえる相手に見えたのだろう。れれば、想像する事は唯一つ。
 拓也の頭の中では半裸の恵理子が、「お礼よ……大人の女を教えてあげる…」などと言いながら迫って来ていた。

「ねぇ、安藤君?」
 同僚の教師の中にはパソコンに詳しい者も居る事は居たが、そう言った相手に限って話かけ難い相手だったりするのだ。
 その点、自分が顧問をしているバディ同好会の面子なら、気軽に頼めると言ったところか。
 実際には顧問としては何もしていない、形だけの顧問なのだが。

「え……それはちょっと…」
「お願ーい!、お礼はちゃんとするから……ね?」

 櫻花学園に赴任して1ヶ月で、既にファンクラブまで存在すると噂の恵理子に頼まれては、流石に拓也も無下には断れない。
 それに、「お礼」という言葉が拓也を誘う。
 バディオタクとは言え拓也も生身の女性に興味が無い訳では無い。
 幼馴染の真希に淡い想いを抱いていたりするし、その友達の柚葉や唯菜にも興味があったりする。
 そんな思春期の男子高校生が「お礼」と言わ

「え?あ、はい、えっと、その……解りました」
「やったぁ!、それじゃ明日からお願いね」

 恵理子の声に現実に引き戻された拓也は、勝手な想像の甘い誘惑に勝つ事はできず、放課後の貴重な時間を引き換えにしてしまったのだった。


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