5st

櫻花学園の日常

「ハッ!!」

 気合の声と共に拳が繰り出される。
 それを手で軽々と払い除け、お返しとばかりに真希の右足が相手の顔面へと蹴り上げられる。
 しかしその蹴りは寸前の所で避けられ、逆に相手の拳が改めて打ち込まれた。
 拳が真希の顔面のほんの数ミリ手前で止まる。

「……参りました」

 大量の汗を流し、荒く肩で息をしている真希とは対照的に、相手は全く息一つ乱してはいない。
 櫻花学園空手部での実力No1とNo2と評されてはいるが、その力に差が有るのが明かだった。
 真希と組み手の相手をしていたのは、男子空手部の主将である宮ノ上重太。
 全国でも屈指の空手の実力と共に、その整った体格と精悍な顔つきで人気は高いが、彼を良く知る者に言わせれば「ただの空手馬鹿」である。
 真希の実力も相当な物で、男子部員ですら練習相手としては不足する程だったが、重太には遠く足元にも及ばなかった。

「やっぱり主将は強いですね」

 道場の隅で腰を下ろした真希が、傍らに立って部員達の練習を見守っていた重太に話しかける。
 呼吸は既に整っていたが、まだ汗を額に輝かせている真希に対して、重太は平然としたものだ。

「何を言っている。空手を始めて1年でその実力のお前が」

 重太に言わせれば真希は恐るべき存在なのだ。
 物心付いた時から空手を始めている重太に対して、たった1年で空手部No2の実力を身につけた真希は、まさに天才と言っても良かった。

「へへへ」

 重太の言葉に照れ笑いを浮かべる真希。
 確かに、重太には敵わないとは言え、他の男子部員で相手にすらならないのだ。これ以上を望むというのは欲が強いと言うものだろう。
 真希は首にかけた手拭で汗を拭いながら、重太と共に部員達の練習風景に視線を向けた。
 熱心に練習に励む部員達。
 櫻花学園の空手部は、飛び抜けた実力の重太と真希に率いられて、全国でも指折りの存在だ。
 間近に迫った県の春季大会でも、まず優勝は間違い無いだろう。

「今年こそ…全国優勝したいですね」

 独り言のように呟く真希に、重太が黙って頷き返す。
 全国大会では重太こそ個人戦で優勝したものの、団体戦ではベスト8止まりが続いている。
 今年こそ悲願の全国優勝を。それは重太や真希だけでなく、部員全員の思いでもあった。

「主将。もう一回お願いできますか?」

 部員達の練習を見ていて気持ちが高まってきたのだろう。真希は傍らの重太の返事を待たずに、道場の中央へと歩き出した。
 重太は微かな笑みを口元に浮かべると、その後に続いて行った。


「待った?」
「ううん」

 真希が部活に出ている日は、唯菜と柚葉の二人だけの下校となる。
 二人で真希を待つ事も多かったが、この日は予め真希に「遅くなる」と告げられていた為、二人は揃って駅への道を歩いていた。

「ねぇ…唯ちゃん…今日は用事はよかったの?」

 先日の光景が忘れられない柚葉は、何となく気になって唯菜に問い掛けてみる。
 唯菜の方はまさか覗かれていたとは思ってもいなかった為、柚葉の問い掛けに首を傾げて応える。

「今日はね。でもどうしたの?今までそんな事聞いたこと無かったでしょ?」

 口が裂けても覗いていたとは言えない柚葉は、慌てた様子で激しく首を振った。

「な、な、何でも無いよっ……ちょっと…気になっただけ」
「ふーん……別にいいけどさ」

 柚葉の態度を不思議そうに見ていた唯菜だったが、元よりあまり深くは考えない性格な為、それ以上聞き返す事は無かった。
 内心でホッと胸を撫で下す柚葉。
 真希は「あんまり色々と聞かない方がいいよ」とは言っていたが、柚葉は唯菜と公也の関係が気になって仕方がないのだ。
 何とかして聞き出そうと思うのだが、そんな事には不慣れな柚葉はつい聞きそびれてしまう。
 真希だったらそれとなく聞き出せそうだったが、本人にその気が無いので頼む事も出来ない。
 
(うー……気になるよ〜〜〜)

 まだ男性と親密な付き合いなどした事の無い柚葉にしてみれば、親密以上の関係である唯菜達に興味津々といったところか。
 その後も何度か話を切り出そうとする柚葉だったが、その度に唯菜に「どうして?」と聞き返されて挫折する。
 友人とは言え、本人が言い出さない事を聞くのは気が引けるし、あまり興味本位に聞くべき事では無い気もする。
 しかし、もしもそう聞き返されなかったとしても、そこから先の言葉が思い浮かばないのも事実だった。
 そんな事を繰り返すうちに、気が付けば駅前まで来てしまっていた。

「じゃ、また明日ね」

 柚葉とは反対方向へと帰る唯菜は、そう告げて柚葉に手を振って駆け出す。
 それに応えて手を振りながら、柚葉はいつか必ず聞き出そうと改めて強く思うのだった。



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