いつの間に眠ってしまったのだろう。薫が目を覚ますと、既に部屋の中を闇が包んでいた。
 縁が居を構えるこの長屋も、住人達は寝静まって静寂に包まれている。
 薄暗い部屋の中、薫はゆっくりと上半身を起こし、部屋の中を目を細めて見渡した。

「…………縁…?」

 尚も縁の姿を求め、首を廻して周囲を覗う薫。
 その動きに合わせて解かれた長い髪が揺れ、柔らかな胸の膨らみを覆い隠す。
 部屋の薄暗さにも慣れ、視界にその光景を捉える、
 しかし、つい数刻前にその柔肌に触れていた男の姿はそこには無く、ただ静かに戸の隙間から月明かりが差し込んでいた。

 脱ぎ捨ててあった内衣を肩に羽織り、前を合わせて立ち上がると、月明かりの差し込む戸へと近づいた。
 静かに、そっと戸を開けると、丁度目の前に大きな月が昇っていた。
 銀色ではなく、赤味の射した丸く大きな月。
 開きかけた戸を手に、薫は思わずその光景に見入ってしまった。

「………縁………剣心……」

 何故か二人の名前が口をつき、知らず知らずのうちに頬を涙が伝っていた。


















 

 

 

 




第七話

 









「蒼紫さま……本当に行かせてよかったの?」

 逆刃刀を手に神谷邸を後にした剣心を、蒼紫と操が路地の影から見送っていた。
 蒼紫は深い色合いの瞳で静かに、操は不安げな瞳で落ち着きなく。
 傍らの蒼紫の袖を掴み、夕闇の中を歩いていく剣心を見送りながら、操は駆け出したいような衝動を必死に堪えていた。
 昼間、剣心に投げつけた自分の言葉が、今ごろになって胸を締め付けてくる。
 操も剣心を責めるような気持ちは無かったのだが、薫の事を思うとつい厳しい言葉が出てしまうのだ。

「……心配はない」

 そんな操の気持ちを察したのか、軽く頭の上に手を乗せながら、蒼紫は静かに操を見下ろした。
 深い色合いの瞳はどこまでも柔らかな視線で、傍らの少女を包み込むように見つめる。

「…うん」

 信頼する蒼紫がそう言うのであれば、操はその言葉を信じるしか無い。
 今はただ、剣心が薫を伴なって戻るって来る事を信じるしか無いのだ。
 月明かりに照らされる剣心の背中を見送りながら、操は祈るような心境で、心の中から語りかけた。

(…ちゃんと連れて帰ってきてよ……信じてるからね……緋村……)

 その言葉が通じた訳では無かろうが、不思議と剣心の背中がどこか昼間とは違って見える操だった。
 ただ、だからと言って胸の中の不安が消え失せるはずもなく、蒼紫の裾を掴む手に力が無意識のうちにこめられる。

(…緋村………)

 既に剣心の姿は視界の先へと消え去り、操の視線の先には静寂が包む街が佇んでいた。





 季節は初秋。微かに肌寒い風が草原を撫でていく。

 慣れ親しんだ倭刀を手に、雪代縁は夜の街を歩いていた。
 今の縁の身体は、手にしている倭刀を振るえるような状態ではなく、再び剣心と相対するような事になれば、その命すら危ういと告げられていた。
 だがしかし、縁は倭刀を手放す訳にはいかなかった。
 これが最後だと解っているからこそ、己の命をかけてでも手にしたいからこそ、例え"死"という言葉が目の前にあろうとも、縁は倭刀を抜く覚悟があっし、これが最後の支えでもあった。

「………」

 不意にその縁が歩みを止め、薄暗い路地を横目で睨みつける。
 その鋭い視線の突き刺す先には、まるで闇と同化するかのように気配を消していた、斉藤一が居た。

「……邪魔をする気は無い……が」
「………」
「このままお前に死なれては寝覚めが悪いんでな…」

 そう言いつつも、その表情はどこまでも冷ややかで、斉藤の真意は他にありそうだった。
 それは縁も解っているらしく、口元だけを歪めた笑みで応じると、ただ黙って倭刀を掲げて見せた。
 何を意味しての行動なのか瞬判らず、眉をひそめていた斉藤だったが、その意図を察すると鋭く目を細めた。

「…フン」

 そして再び縁は歩き出し、斉藤は鋭い視線を送りながらも、黙ってその姿を見送った。
 短くなった煙草を投げ捨て靴底で踏み消すと、斎藤一は再び薄暗い路地へと消えていく。
 
 剣心は蒼紫と操に、縁は斉藤に見送られ、互いに互いの姿を求めて街を彷徨う。
 何のあてもないその歩みではあったが、間違いなく二人は何かに導かれていた。
 それが運命という名の悪戯なのか、それとも互いの強い意思のなせるわざなのか…。

 神谷薫という名の少女を間に、雪代巴という名によって繋がった二人が相対する。
 人は二人のその行いを愚かと言うかもしれない。だがしかし、二人にとってそれは必然であり、己の全てを賭しても手放したくは無い存在があるのだ。

 そして涼風が吹き抜ける街の中、二人は静かに再会した。

「………縁」
「…………」
「……薫殿の所へ案内して欲しいでござるよ」

 縁が素直に薫の元へと案内してくれればよし、そうでなければ力ずくでも聞き出すつもりで今の剣心はいた。
 我ながら乱暴な考えをするものだと、思わず剣心は我に返って苦笑をもらす。
 相対する縁はそんな剣心を一向に気にした様子も無く、薄暗い夜道を再び歩き始めた。まるで黙って着いて来いとでも言わんばかりに。

 黙したまま歩きつづける縁の後を、三歩ほど後れて剣心が続く。
 涼しげな香りを運ぶ夜風に吹かれながら二人がたどり着いた先、街の中でも比較的貧しい者達が暮す長屋が並ぶ一角。
 もう既にどの家からも明かりは漏れておらず、辺りは静まり返って虫の音だけが二人の耳朶をくすぐっていた。

 そんな長屋の並びへと足を踏み入れた縁は、手にしていた倭刀の柄で長屋のうちの一軒を指し示す。
 無言で縁が示すその先に薫が居るのだと思った瞬間、落ち着いていたはずの剣心の心が一気にざわめき始めた。
 だがそれも一瞬のこと。
 剣心は自分が思っていた以上に落ち着きを取り戻す事ができ、それは改めて決意を確かめさせる事となった。
 縁が指し示した扉を目指し、剣心はゆっくりと足を踏み出す。

「ッ………!」

 だが、縁は指し示す為に倭刀を掲げていた腕を開き、剣心の行く手を遮った。

「見せてみろ……貴様にその資格があるのか…」

 言いつつ眼光鋭く剣心を睨みつける縁だったが、その視線に以前のような狂気は潜まず、ただ強い意志だけをもって剣心を射抜いていた。
 剣心もその視線を真っ向から受け止め、この視線の圧力に抗するかのように奥歯を噛み締める。
 そして腰間の愛刀に手を伸ばすと、静かに鯉口を切った。

「…………最早…躊躇う事など何も無い。通してもらうぞ、縁……」 
「…フッ……面白い」

 一瞬にして二人の周期の空気が密度を増し、重く圧し掛かると同時に鋭く張り詰めていく。
 無言のまま互いに間合いを取り、剣心は僅かに腰を落として抜刀の構えを、縁は直立のまま倭刀の柄に手を置いていた。
 耳朶の奥が痛くなるほどの静寂と緊張感が二人を包み、剣心がそれを圧倒する程の気迫を発し、縁が静かに受け止める。
 傍目には全く動く事なく睨み合う二人だったが、両者の間では大きな振り子が緩やかに揺れていた。

 大きく左右に揺れる運命の振り子。剣心から縁に、縁から剣心に。
 何もかもが伯仲した二人の間では、その振り子の揺れを掴んだ者が勝利するとみて間違いなかった。
 だがしかし、胸が締め付けられ苦しくなるような緊張感の中、縁はどこまでも平然としたまま直立している。
 そしてこれ以上の睨み合いは体力的に持たないと悟った剣心が、烈迫の気合を込めて踏み込もうとした瞬間、縁の手が柄から離れた。

「…な……」
「……行け」

 戸惑いの表情を見せる剣心に、ただそう短く呟くと、縁は踵を返して歩き出した。
 何故、縁が最後の最後で退いたのか理解できずに戸惑う剣心だったが、今はその理由を考えるより行動するのが先だった。
 背中を向けて立ち去る縁に踵を揃えて一礼すると、縁が指し示していた長屋の一軒へと駆け出す。
 そして戸襖の前で立ち止まり、呼吸を整えてゆっくりと開いていく。

「………薫…殿…?」
「え………」

 薄布を羽織っただけの薫は、明かりも灯さず静かに薄暗い部屋の中で座っていた。
 剣心が現れた事に驚いたのか、両目を見開いて土間に立つ剣心を見つめる薫。
 ゆっくりと剣心が歩を進め、微かに差し込む月明かりにその表情が照らされるのを見る頃には、見開かれた相貌からは勢い良く涙が溢れ出していた。
 思わず剣心は足を止め、その表情を悲しみに翳らせる。
 その涙の意味を、悲しみによるものだと考えたのだろう。
 だがしかし、薫が大きく両手を開き、涙に濡れた顔で優しく微笑んだ瞬間、ようやく剣心は最後の一歩を踏み出す事ができた。

「……薫殿……迎えにきたでござるよ…」
「……うん………」

 薫は剣心が目の前に立ったその瞬間、ようやく自らの気持ちを理解できたような気がした。
 自分がなぜ縁の元へと走ったのか、なぜ剣心の傍らに居る事を辛く感じていたのか。

「…剣心………」

 薫の伸ばした右手が剣心の長い髪の先に触れ、そのまま頬へと滑り降りて指先が撫でていく。
 何度となく指先で辿った感触、深く刻まれていた十字の傷が、ほんの少しだではあったが、間違いなく薄くなっていた。
 剣心が背負いつづけてきた十字架であり、共に背負っていこうと思っていた十字架。
 だが、消える事のない傷の存在は、祝言を間近に控えた薫に重圧となって圧し掛かっていたのだ。

「…いいんだよね……幸せになっても…いいんだよね……」

 零れる涙を拭う事なく呟く薫に、剣心はその涙を指先ですくい取りながら、力強い声で応えた。

「もちろんでござるよ」

 その言葉に安心したのか、薫は剣心の胸元に顔を埋めた。
 そして剣心は、ようやく取り戻した愛すべき存在を胸に、その髪と背中を優しく撫でてやるのだった。


----- 終劇 -----











----- 後書のようなもの -----

ごめんなさい(爆)
いや、だって他に言葉が思い浮かばない(;´Д `)
長い事待たせた挙句、できあがったのがコレでは…怒り心頭な方々も多いことでしょう…
石を投げつけたい気持ちをグっと堪えて、ここはひとつ暖かい心で勘弁してやって下さい。
俺としても最後はもうちょっと何とかしたかったんだけれど、
如何せん…才能の枯渇した身では、これが限界っぽいのです(ぇ
まぁ、色々と補足せねばならないような部分も多々ありますが、
今回は読まれた方の判断に全てを一任します(ぉ
最後ぐらい言葉じゃなくて、お互いの姿を見ただけで全て納得しちゃってもええかなぁ…なんてね。俺的には。
ま、そんな感じで「再会」はお終いです。長らくお付き合い頂き、真にありがとうございました。
これで”るろ”関係から足を洗おうかどうか思案中ですが、
まぁ…”るろ”以降、薫ちゃんほどに萌え〜っとなる娘さんも居ませんし、
またそのうち気まぐれで書きたくなるかもしれないので、最後とは言わないでおきましょう(ぉ
それでは、またー(≧∇≦)ノ