薫-再会-

第六話

 触れた唇の温かさ、抱きしめられた腕の逞しさが、薫の心を落ち着かせていく。
 何故、こんなにも自分は縁を求めてしまうのか。
 薫はその温もりに包まれながら、答えの出ない自問自答を繰り返す。

「薫………」

 自分の名を囁く落ち着いた声音。
 その響きを心地よく聞きながら、薫は着物の帯を後ろ手に解く。
 そして纏めていた髪を解くと、長く艶やかな黒髪を背中へと流した。
 薄明かりの中、肩口から胸元にかけての白い素肌が覗き、薫の頬が微かに紅潮する。

(何もかも……もう忘れたいの……楽になりたいの………)

 その光景を真っ直ぐな瞳で見詰め続ける縁。
 開いた着物の胸元から柔らかな曲線を描く乳房が顔を覗かせ、薫はその胸元を押し付けるように縁へと両手を廻した。

「……縁」

 押し付けられる唇を受け止め、縁は薫の頭と背中へと手を廻す。
 艶のある黒髪を指の間で泳がせながら、優しく背中を撫でる縁。
 唇の温もりと密着させた肌に伝わる温もり、鼓動は早鐘のように高鳴っていく。

「………あ………はぁ………」

 薫の唇を塞いでいた縁の唇は、頤から首筋、そして肩から胸元へと移っていく。
 そのくすぐったいような、もどかしいような感覚に、薫の白い肌が泡立っていく。
 胸へ移った縁の頭を抱えるように抱きながら、薫は切なげな声を漏らしていった。

 縁の唇は二つの丘に乗った桜色の突起へと辿り着き、舌先でその周囲を弄ぶように刺激する。
 与えられた刺激によって目覚めた突起は、その存在を主張するかのように固さを増して尖っていく。

「…ん…………縁ぃ………」

 鼻にかかった声で縁の名を呼ぶ薫の瞳が、微かな明かりの下で潤んで光る。
 薫の高まりと歩調を合わせるかのようにして、縁は胸の突起を口に含むと、その先端に軽く歯を当てた。

「あぁんっ……やぁ………ん……」

 敏感な突起を甘噛みしながら舌先で弄ばれ、胸から広がる甘美な刺激に薫は酔っていった。
 縁は薫の肩に残っていた着物を後ろへ押しやると、そのまま床に広がった着物の上に薫を押し倒す。
 そして胸を顔を埋めたまま、薫の膝元へと手を伸ばした。

「脚ヲ開け…」
「……うん」

 命じるかのような口調に、薫は縁の中に変わらない部分があるのを確認する。
 そして、その言葉に逆らう事の出来ない薫は、縁の言葉に応じて軽く膝を開くのだ。
 ただ愛されるのではなく、自分の全てを支配されてしまうような感覚に、薫は不思議な悦びを覚えてしまう。
 それは揺れ動く薫の心が求めていた、安定を与えるものでもあった。

「あ……はぁっ………ん………っ」

 膝頭を撫でていた縁の掌が、滑るように太股の内側を撫でていく。
 その動きに合わせて何かが背筋を駆け抜けていく感覚に、薫は縁の下で長い睫を震わせた。

(…本当に……何もかも忘れたら…楽になれるのかな……)

 二人の切なく濡れた夜が静かに更けていく。
 縁に抱かれながら、薫は己の身の愚かさと、何故こうなったのかを考え続けていた。
 そう、全てを忘れ去る事など、世俗の身では不可能な事であった。
 ましてや、二人の男の間で揺れる薫が、縁に身を預けただけで全てを忘れられるはずも無い。

(馬鹿だよね……私も……剣心も……)

 覚え込んだ快楽を与えられて肉体は喜びの声を響かせるが、薫は心の中で泣き続けていた。





「………で、薫さんが居ない訳ね」

 まさか剣心と薫がこんな状況になっているとは露とも知らず、二人の祝言の日取りに合わせて東京へとやって来た蒼紫と操。
 薫が不在な理由を操に問い詰められた剣心は、笑みすら浮かべて語って聞かせた。
 それを聞いた蒼紫は黙して語らず、操は憤怒の形相で剣心を睨みつけている。

「………だったら、どうして早く薫さんを探しに行かないのよ!」

 直ぐに怒りが頂点に達した操は、拳を机に叩きつけて叫ぶ。
 傍らの蒼紫は腕を組んだまま、目を閉じて変わらず黙したままだ。
 剣心は操の怒りの言葉を受け止めても、ただ苦笑いを浮かべるだけで立ち上がろうとはしない。
 それが更に操の怒りを増加させた。

「アンタねぇ…いつからそんな腑抜けになったのよ!!、それとも何?、まだ縁に負い目でも感じてる訳?」

 早口でまくし立てる操に、剣心は僅かに口元を歪めて悲しそうな笑みを浮かべる。

「別に縁に負い目は無いでござるよ。ただ……」
「ただ…何よ?」
「…ただ……これは薫殿が選んだ事でござる…」
「それが何よ?、アンタの気持ちはどうなのよ!、薫さんの事が好きじゃないの?、そんな簡単に言えるような気持ちだったの!!、アンタなんか……アンタなんかねぇ…!」

 瞳に薄っすらと涙すら浮かべて怒鳴りつける操を、傍らの蒼紫の手が伸びて制した。

「あ、蒼紫さま…」
「行くぞ、操」
「でも……………わかりました…」

 蒼紫の言葉には逆らえず、立ち上がった蒼紫に続く操。
 部屋を出る瞬間に振り返って剣心を睨みつけたが、剣心はただ苦笑いを浮かべるだけであった。




「………巴…やはり俺は間違ってるのか…?」

 最早過去の人となった相手の名を呟き、夜空に鈍く輝く月を見上げる剣心。
 剣心とて、望んで薫との別れを選んだ訳ではない。
 もちろん縁に対する負い目から、薫が縁の元へと行くのを認めた訳でもない。
 全ての闘いを終え、祝言を目前にして順風満帆だったはずの薫との生活が、いつからか歯車が狂い始めていた。
 今にして思えば、それは縁が再び現れた時から始まっていたのかもしれない。

 薫が何も言わなくとも、あの島で縁と薫との間に何かがあったのは剣心も察していた。
 だが、それもこれも過去の事として洗い流し、全て承知の上で薫との生活を選んだはずだった。

 しかしそれは、心のどこかに棘となって突き刺さったまま、剣心の心を蝕み続けていた。
 それは明らかな「嫉妬」。

 そして─────

『縁の元へ…………行っても構わないでござるよ…』

 決定的な言葉。
 言ってはならないはずの言葉。
 それさえ言わずにいたら、二人の間の溝が深まる事は無かったかもしれない。
 例え、その溝が永遠に埋められなかったとしても。

「………俺は…薫殿を信じ切れなかった……それが全て……か…」

 そんな自嘲的な剣心の呟きに、無人のはずの庭先から応える声がある。

『何を悩んでますの?』
「!……巴……」

 傷ついた剣心の心が生み出した幻だったのかもしれない。
 月明かりの下で輝くように現れた、添い遂げられなかった妻、巴。

『所詮は赤の他人…その心の全てを理解できるはずもないでしょう。なら…信じ切れなくても当然の事』
「し、しかし……」
『人は弱い生き物…時には道を誤る事もあるでしょう。でも…貴方はそれを許せるのでしょう?』

 幻の巴は、口調と同じく優しい笑みを剣心へと投げかける。
 剣心は巴の言葉を噛み締めながら、薫との京都での一夜を思い出していた。

(過去は過去…そう切り捨てたはずだ…それが縁の存在だけで揺らぐとは……情けないな)

 過去に何があろうとも、薫は薫だと愛したはずであったのに、縁という自分とは違う薫との絆を持つ相手の出現に、剣心の気持ちは易々と乱れてしまった。
 それは薫の心も同じ事。自分の過去の一部を捧げた相手の出現に、薫の心も散々と乱れた。
 互いに相手を思いやるあまり、互いの心の乱れは大きくなり、二人の間に決定的な溝を生んでしまった。

『…もう…解ってらっしゃいますよね?、どうすれば良いのか…』
「…そうだ…俺は薫殿を愛している………それだけは何があっても変わらない…」

 ならば導き出す答えは一つ。
 剣心の出した答えに納得したかのように、巴の幻は大きく頷くと、庭先の暗闇へと透き通るように消えていった。
 月明かりだけが残った庭先を見つめていた剣心は、大きく息を吸い込むと逆刃刀を手に立ち上がった。

<続く>