薫-再会-

第五話

 涙を流している訳ではないのに、まるで泣いているかのような表情。
 近所の見知った顔が心配そうに声をかけるが、薫は無言で頷き返す事しかできなかった。
 どこへ行くのか考えてもいなかったが、足先は無意識のうちに誰かを探し求めていた。

 陽が落ち、人通りの減り始めた東京の街を、小さな荷物を手に歩く。
 視線は力無く前を見つめ、足取りはけして軽いとは言えない。
 だがしかし、その歩みが止まる事は無く、まるで何かに導かれるかのように、遅々とだが迷い無く進む。
 それが運命と呼べる物なのかは、神ならざる身には知りえるはずもない。

 不意に薫が足を止め、一見の小料理屋の暖簾(のれん)をくぐる。
 それが偶然なのか、それとも何かを感じたのかは解らない。
 しかし、確かに『彼』はそこに居たのだ。まるで絆の糸がそこにあるかのように、出会うべくして出会う二人。
「…………縁……」
 静かに傍らに立った薫に気付き、縁は女将に勘定を支払うと席を立つ。
「………」
 そのまま無言で店を出て行く縁に、同じように薫も無言で後に続く。

「………」
 夜風が涼しく二人の頬を撫で、人気の少ない道を駆け抜けていく。
 背後の薫など気にしていないかのように歩む縁だったが、その歩みの速度は間違いなく薫に合わせている。
 程なく、二人は薄暗い路地へと入り、小さな家の並んだ長屋へと辿り着いた。
 そこが今の縁の仮住まいといったところか。
「…入ルか……?」
 それまで無言だった縁が、戸を開きながら背中越しに呟いた。
「………うん」

 薄暗い部屋の中で、手探りに明かりを灯した縁は履物を脱ぎ、上着も脱ぎ捨てて床の上に腰を降ろす。
 後出に戸を閉めた薫は、そのまま土間に立ち尽くし、部屋の中を見回していた。
 部屋の中には家具らしき物は一切無く、まるで生活感の感じられない空間だった。
「どうした…」
「あ……うん」
 促されて部屋へと上がり、手にしていた荷物を部屋の隅に置くと、薫も縁の傍へ腰を降ろす。
 静かな時がゆっくりと二人の間に流れる。
「わ、私…お茶でも…」
 間を持て余した薫が立ち上がりかけると、その腕を縁が掴んで制した。
「何故だ……」
「………え……………」
「何故……そんな顔をしていル」
 直接的な縁の問いかけに薫は返答を窮し、不安気な視線を泳がせる。
 縁はそれ以上の言葉は告げず、沈黙を持って薫の返答を待っているかのようだった。
「……別に………いつもと変わらないわよ…」
 その言葉が偽りの物である事を、口にした当人の薫が一番よく解っていた。
 そして縁も、本当の理由を待つかのように沈黙を続ける。
「………………」
 重苦しい雰囲気が部屋中に充満していく。
 その空気に耐えかねたというよりも、まるで救いを求めるかのように、薫の両の瞳から大粒の涙が溢れ出す。
 それは瞬く間に瞳から溢れ、頬を伝って日に焼けて色の変わった畳へと滴り落ちる。
「だって………だって……………」
 だたそう呟く薫に、縁は掴んでいた腕を力強く引き寄せ、薫の身体を腕の中に抱き寄せた。
「そんなに……緋村と離れる事が悲しいノか…」
 どこか寂しげな響きを持った口調で、縁は腕の中の薫に囁くように問い掛ける。
 縁の胸元に顔を埋めていた薫が縁に向き直り、零れる涙を拭おうともせず、切なげな声音で訴えかけた。
「…だってっ……愛してるのよっ……彼を………………剣心を愛してるのよっ……」
 薫の涙ながらの訴えに、縁は何の言葉もかけずに、ただ黙って薫を抱きしめた。
 布越しに伝わる縁の温もりを感じながら、薫は縁の腕の中で剣心の名を呟き続けた。
 それは縁にとって耐えがたい事であろうにもかかわらず、縁は黙って優しく薫の髪を撫でる。
「私……私っ………どうしたらっ………んっ!?」
 再び顔を上げて縁に問い掛けようとした薫の唇を、不意をついて縁の唇が塞いだ。
 縁の唇が離れるまで、薫は目を見開いて間近に迫った縁の顔を見つめ続けた。
「………俺も…お前ヲ愛していル……」
「……縁………」
 自分の剣心に対する気持ちと同じように、縁もまた自分を思っているのだろうか。
 そんな、今まで考えた事も無かった事が薫の頭に思い浮かぶ。
 そう考えると、剣心の名を呼び続ける自分を優しく抱きしめる縁の、その心の中が知りたくなる。
 つい先程まで剣心との別れに涙していた事も忘れ、今の薫は縁がどう思っているか、どう感じているのか、そんな事ばかりで頭が一杯になっていた。
「でも………私は………」
「構わなイ。お前が誰を想ってイようと……俺の気持ちに偽りはナい」
 どこまでも真っ直ぐで純粋な縁の気持ち。
 以前にも感じていたはずなのに、薫は改めてその事に気付いたような気がした。

「今だけ……今だけでも……いいの…?」
「……」
 薫の言葉に縁は黙って瞳で返事をする。
 その真っ直ぐな縁の瞳に導かれるかのように、薫は縁の胸元に身体を寄せた。
「……悲しさを……忘れたいの…」
 薫の細い身体を力強く抱きしめ返し、縁は薫の耳元で呟いた。
「………ああ」


<続く>

久しぶりの「再会」です。自分でもちょっと方向性を見失ってる部分があるんですが、
少しずつでも「書く」事によって、何とか形にしていきたいと思います。
なので、ご意見・ご感想は遠慮なく、思ったままにお願いします!