薫-再会-

第二話

 その晩の食卓は、祝言を目前に控えているとは思えないような、まるで通夜のような雰囲気に包まれていた。
「……」
「………」
 無言で箸を運び続ける二人。
 もしも弥彦がこの場に居たら、その雰囲気に耐えかねて暴れだしたであろう。
「ねぇ剣心…」
 さすがに沈黙に耐えかねたのであろうか、薫が箸を置いて口を開く。
「ん…何でござる…?」
 何気なくそう聞き返されて、薫は自分が言おうとした言葉を飲み込んでしまう。
(今日、縁に会ったのよ…)
 剣心は薫と縁の間にあった事を知らない。
 その事が薫を苦しめた時期もあったが、今では過去の事として気持ちを整理した…つもりだった。
 それでも縁と顔を合わせた時、自分の中で何かが騒ぎ出すのを薫は感じていた。
「あ、ううん……何でも…ない…」
「…?」
 怪訝そうに首を傾げる剣心だったが、薫はそれを作り笑いで誤魔化す。
 剣心もそれ以上は聞こうとせず、再び沈黙に包まれた食事が再開された。


  今更、縁が現れたとして何があるというの?
  私はもうすぐ「緋村 薫」になるの。剣心の元へ嫁いでいくの。

  縁だって、別に私を奪いに来た訳じゃないはず。

  では、何の為に現れたの?二人を祝福するため?

  違う。きっと違う……


 目覚めの悪い朝だった。
 時間的には十分な睡眠を取ったはずなのに、どこか疲労感の残る目覚め。
「………」
 傍らでは、まだ剣心が静かに寝息を立てている。
 その寝顔にそっと手を伸ばしかけて思い止まり、剣心を起こさないように静かに寝所を出る。
 朝日が昇るには、まだ半刻ほど時間があるだろうか。町はまだ眠りの中にあるようだった。
 微かに白み始めた東の空を一瞥する薫の胸に、昨日の縁の顔が思い浮かぶ。
「縁……」

 剣心を愛している。祝言の日も近づいている。
 それでも薫は、縁を完全に拒絶する事は出来そうになかった。
 あの真摯な想いを受け止めた日から、もう1年以上が過ぎようとしている。
 親しい人達との別れもあったが、それでも幸せな1年であったと薫は思う。
 このまま幸せな時が続けば良い。そう思う反面、自分達だけが幸せになって良いのか?そんな思いも同時に生まれる。
 剣心を愛し、そして散っていった巴。
 その巴を想い、剣心を憎しみ、そして薫を愛した縁。
 果たして二人は私達を祝福してくれるのか?
 祝言の日が近づけば近づくほど、不安になっていく薫だった。



「……斎藤…」
 日課となっている買出しの途中、最近では会うことも少なくなった旧知の男と、剣心は町で偶然出会う。
 しかし、斎藤の方は別に偶然では無いようであった。
「…雪代縁が戻っているぞ」
 相変わらずの無愛想さで、そう告げて去ろうとする斎藤を剣心が茶屋へと誘った。

「やはり…な……」
「…気付いてはいたのか?」
「いや。薫殿の様子でな…そんな気がしていた…」
 互いに背中を向けたまま長椅子に腰掛け、背中越しに言葉を交わす二人。
「警察は動いているのか?」
「フン。……上は何やら動いているようだがな…剣を握れなくなった奴など、俺は興味が無い」
「……?」
 斎藤の話によると、あの剣心との一戦で限界を超えた力を出し切った縁の体はボロボロで、戦うどころか二度と剣を握れない状態にあるらしかった。
 警察もそれほど重要視はしていないらしく、特に縁を探してはいないようだった。

「ところで斎藤。祝言には出てくれるのか?」
「……暇があればな」
 そう言いながらも斎藤は顔を出しに来るだろう。皮肉の一つも言う為に…



 買出しに出る剣心を送り出し、縁側でお茶を飲みながら一息つく薫。
 時間ができると、思い出すのは昨日の縁の姿ばかり。
 出会った頃の周りの全てを傷つけるような刺々しさが消え、歳相応の若者らしい爽やかさを身に纏っていた。
 剣心との戦いに敗れたからか、それとも自分との事があったからなのか…
「はぁ……」
 自分でも気付かないうちに、湯飲みを手に溜息を漏らす薫だった。

「何を溜息を漏らしていル…」
 薫は弾けるように声のした方向…庭の端へと視線を急がせる。
「縁っ…!」
 そこには、機能と同じように穏やかな表情の縁が立っていた。
 縁はゆっくりと薫に向かって歩み出す。
(駄目…それ以上来ないで……っ!)
 一歩、二歩…縁は薫の気持ちを無視するかのように、着実に近づいて来る。
「!!」
 薫の目の前まで来た縁は、躊躇う事無く薫をその両腕で抱きしめた。
 その両腕は、薫への想いを伝えるかのように、強く…そして優しく薫の心までも抱きしめる。
 振り解こうと思っても、薫は身体を一寸たりとも動かす事ができず、ただ身体に力を込めて身構える。
「だ…駄目よ……私は……剣心と一緒になるの……」
 かろうじて、そう言うだけで精一杯だった。
「忘れられルのか…。……今まで俺の事を…一度でも思い出さなかったカ…」
「……」
「俺は…忘れた事は無イ。お前の事を…お前だけを思って生きてきた」
 縁の想いが真摯なだけに、薫の胸を苦しくさせる。

 薫は縁を選ばなかった。
 いや、どちらかを選ぶなどという考えは無かっただろう。薫には剣心しかなかったのだ。
 あれは一度だけの過ち…。剣心の知らない、二人だけの秘密…。
 既に過去の事として整理していたのが、縁はそうでは無かった。
 
「私は…私はっ…………!!」
 薫のその後の言葉は、縁の唇にとって塞がれた。
(ああ………)
 薫の身体から力が抜けていった……

<続く>