夏を過ぎて
※四話目までは、後日公開予定です。
夏を過ぎて 第六話 「美咲ちゃんって真面目そうなわりに凄いんだねぇ」 男の吐き出した物の後始末をする美咲の傍らで、男は煙草に火を点けながら口元を緩める。 美咲は泣き出しそうな心を押し殺して、そんな男に笑みを作って見せた。 「そうですか?」 そして男と他愛も無い会話を交わし、約束の金を受け取ると、美咲の心がチクリと痛む。 見ず知らずの男性を関係して金を受け取る。それは許されざる行為でしかない。 愛する高志の為だと自らに言い聞かせるが、胸を刺す罪悪感を消し去る事はできなかった。 「はい…これ」 男から受け取った金を、全くそのまま高志に渡す美咲。 美咲に対して申し訳なさそうな表情で金を受け取る高志だったが、それは間違いなく演技でしかない。 渡された数枚の紙幣をズボンへと押し込むと、高志は気落ちした様子の美咲の肩を抱いた。 「何か食いに行こうぜ」 「…うん」 たった今、自分が身体を売って手にした金で何をご馳走してくれると言うのか。そんな言葉が美咲の胸に浮かんでくる。 しかし、先程の申し訳無さそうな表情とは一変して、機嫌の良い表情をしている高志を見れば、美咲は言葉を飲み込むしかない。 高志はこの後、適当に美咲と食事をして別れるだろう。 もう一ヶ月以上も高志に抱かれる事は無かったが、それでも美咲は高志を信じて愛するだけだった。 今の美咲には、高志の傍に居られる事だけが幸せだったのだから。 「…………」 衝撃的な光景を目にし、茫然自失のまま部屋へと戻った勇次。 疲れ切った身体をベッドに横たえて目を閉じると、先程の光景が脳裏に甦ってくる。 見慣れた美咲の、見慣れない姿。 媚びるような言葉と共に自ら腰を振り、見ず知らずの男に抱かれる美咲。 その光景は勇次の胸に嫉妬の炎を燃え上がらせるのと同時に、不思議な興奮を呼び起こす。 自分でも気付かないうちに、勇次の股間は固く隆起していた。 (美咲……お前、どうしちまったんだよ………) 幼い頃は人見知りが激しく、いつも勇次の後ろについて歩いていた美咲。 成長してからも同年代の男子とはろくに話す事もできず、唯一話せる相手が勇次だった。 それがいつの間にか男を知り、大人の女へと成熟している。 『勇クン』 勇次の名を呼びながら微笑む美咲の姿。今となっては懐かしい笑顔が思い出される。 だが、すぐに美咲の姿は全裸となり、笑顔は恍惚とした表情に変わる。 『美咲のエッチなオ○ンコに…いっぱい射精してぇ……』 勇次の脳裏で媚びるように淫らな台詞を口にする美咲。 そして思わず勇次が手を伸ばそうとした瞬間、美咲との間に別の男が現れる。 顔の見えないその男は、勇次の目の前で乱暴に美咲を貫く。 「や、止めろ!、止めてくれ!!」 夢中で叫ぶ勇次だったが、その言葉は美咲にも男にも届かない。 その場から動く事ができず、ただ見つめるしかできない勇次の目の前で、美咲は男に抱かれて歓喜の叫びを漏らしていた。 『あっ、あっ、あんっ、あんっ!、もっと!、もっと突いてっ!、あんっ、あぁんっ!、好きっ……愛してるのっ…!!』 「止めてくれぇーーーーーーーっ!!!」 勇次は叫びながらベッドの上で跳ね起きた。 「はぁ……はぁ………夢かよ……ふぅ…」 安堵の溜息を漏らしながら、額に光る汗を拭う勇次。 そして反射的に窓の向こうにある美咲の部屋を覗き込む。と同時に、美咲の部屋に明りが灯った。 時計の針は午前0時を過ぎている。 (…………美咲……) 勇次の見つめる前で、不意に美咲の部屋の窓が開く。 思わず美咲と勇次は動きが止まり、互いに無言で見詰め合ってしまう。 時間にしてほんの数十秒の事だったが、勇次にとっては無限にも近い時間に感じられた。 「……こんな時間まで何してたんだよ」 貼り付いてしまったかのような唇をこじ開け、擦れた声で勇次はそう喉の奥から搾り出した。 勇次の言葉を聞いた瞬間、美咲は微かに悲しそうな表情を見せ、そのまま窓を閉めようとする。 「待てよ!」 「……勇クンには…関係ないよ………ちょっと用事があったの」 「……どこの誰だか解らない男に抱かれるのが用事なのかよ!」 「!!」 一方的に話を終えようとする美咲に、思わず勇次は叫んでいた。 その言葉が鋭利な刃物となって美咲の心に突き刺さる。 美咲の顔面は音が聞こえる程に血の気が引き、見る間に蒼白になっていく。 「どうなんだよ……何とか言えよ!、……何で…あんな事してんだよ……」 勇次は、もう言葉にならかなった。 真っ直ぐに美咲を見つめるその瞳には、何者も逆らえないような力が込められている。 美咲は突き刺さるようなその視線に耐え切れず、黙ったまま俯いてしまった。 長い沈黙が二人の間に流れる。 だがその沈黙を、不意に美咲のか細い声が破った。 「…そっち……行ってもいいかな……」 「────あぁ」 深夜とは言え、窓越しに話していたのでは周囲に迷惑がかかる。 そして何より、話の内容があまり人に聞かれたく無い事もあり、勇次は素直に美咲の申し出を受け入れた。 両親を起こさないようにそっと玄関を開け、制服姿のままで着替えてすらいない美咲を招き入れる。 こうして美咲を部屋に招くのも、もう何ヶ月振りなのかと勇次は思いおこしていた。 「──久しぶりだね、この部屋に来るのも…」 「…あぁ」 ベッドに腰を降ろした勇次に対して、美咲は過去にそうであったように、床の上のクッションへと腰を降ろした。 互いに視線を合わせず、重苦しい沈黙が勇次の部屋を包み込む。 そして先程とは逆に、今度は勇次がその沈黙を切り裂いて口を開いた。 「…説明…してくれるよな」 「……………うん」 か細い声で頷く美咲。 間違いなく勇次は美咲が何をしているのか知っているのだ。今更、誤魔化すような事を言っても仕方が無い。 大きく息を一つ吸い込むと、美咲は意を決してゆっくりと語り始めた。 夏のあの日、勇次と彼女の情事を目撃した事。 夏の海で高志と出会い、抱かれた事。 それから高志と付き合い始めた事。 そしていつしか、高志の為に見知らぬ男に抱かれるようになった事。 ゆっくりとだったが、確かな口調で全てを語り終えると、美咲は大きく息を吐き出した。 「これで…全部だよ」 「…そう…だったのか……」 初めて聞く高志という名と、その男との関係に衝撃を受けた勇次だったが、それ以上に美咲の今の姿に驚いた。 今では週に三日以上、高志に言われた相手と肉体関係に及んでいると言う。 おしとやかで、清純で、内気で、人見知りが激しく、自分の後を追いかけていた少女。 それが今では男を知り、その人数も数え切れないと言う。 勇次はその衝撃のあまりに、何も言葉を発する事ができなかった。 「でも……いいの……私は高志さんを愛してる。だから…いいの……」 そう言いながらも、美咲の表情は悲しげで、それが勇次の心を締め付ける。 自分が美由紀との安易な関係に及ばなければと、激しい自責の念が押し寄せてくる。 軽はずみな自分の選択によって、目の前の少女がこんな状況になったのだと思うと、勇次は美咲を直視する事ができなかった。 「美咲……お前…」 「ずっとね…勇クンの事が好きだったんだけど……」 何か言いかけた勇次の言葉を遮るかのように、美咲が再び口を開く。 俯いて床を見つめたまま語り始める美咲に、勇次は黙ってその言葉に耳を傾けた。 「今はね、もう高志さんだけなの……ずっと…初めての人は勇クンって決めてたのに…不思議だね…」 「………」 「…でもね……まだ心が痛いの…知らない人に抱かれてても…高志さんじゃなくて、勇クンの顔が浮かぶの…」 美咲の声に、次第に涙の色が混じり始める。 小さな嗚咽を上げながら、美咲は涙の零れた瞳で勇次を見上げた。 「勇クン……もう…戻れないのかなぁ…」 子供の頃に見た美咲の泣き顔が、今の美咲の泣き顔に重なる。 思わず勇次はベッドから立ち上がると、座ったままの美咲の身体を強く抱きしめた。 痛い程に抱きしめられながらも、美咲は込み上げてくる嬉しさに全身を震わせる。 「…勇クン……勇クン………」 「もういい……もういいんだ…美咲…俺が悪いんだ…全部俺が…」 両腕から美咲の身体を解放し、今度は美咲の頬を包み込むようにして手を伸ばす勇次。 両手の中で潤んだ瞳で勇次を見つめ返していた美咲は、そのまま黙って瞳を閉じた。 勇次の顔がゆっくりと近づき、そっと唇と唇が触れ合う。 「………美咲」 「…勇…クン……」 唇が触れ合うだけの軽い口づけ。 それでも、二人はやっと長い間胸に閉じ込めていた想いを解放し、その表情は喜びに満ち溢れていた。 そして何度も何度も唇を重ねあう二人。 長かった夏を越えて、この夜ようやく二人は初めて結ばれた。 すれ違ってしまった心の隙間を埋めるかのように、何度も何度も愛し合う二人。 「あっ……あぁ……勇クン……好き……大好きなの……」 「美咲……俺もだ…ずっと好きだった…」 「嬉しい……あぁ…恥ずかしい……」 まるで初めてのように恥らう美咲を、勇次は全身全霊をかけて愛する。 愛しいという気持ちをぶつけるかのように、全身の隅々まで唇を這わせる。 高志に抱かれた時とも違う、甘美で心地良い刺激に包まれながら、美咲は今の幸せを噛み締めていた。 翌朝───── 裸のままベッドの中で抱き合う二人を、窓から射し込む朝日が照らし出す。 その眩しさに目を覚ました勇次は、目の前で静かに寝息を立てている美咲を見て、昨夜の事が現実であったと改めて実感した。 (美咲……) そっと頬に手を伸ばして触れると、美咲が小さな声を漏らす。 「……勇…クン……?」 「…おはよう…美咲」 二人の長い夜がようやく明けた。 <完> |