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プロローグ 「α(アルファ)起動」

 ラジオからは地元FM局のDJが紹介するジャジーなバラードが流れ、手にしたカップからは暖かな紅茶の湯気が鼻腔をくすぐる。
 地元商店街の福引で当てたティーセットに、同じく地元商店街で買った平均よりは高めの紅茶の葉。
 僕にとってはこれが極上の味と香りだ。これ以上は僕の感性では解らないから。

 極々普通の日曜の午後。窓から差し込む日差しは暖かく心地よい。

「うーん……」
 普段なら本を読んだりゲームをしたりして過ごしているのだが、今日の僕は机に向かっていた。
 手にしたカップの中の琥珀色の液体を飲み干しながら、再び呻き声のような呟きを漏らす。
「うーん……」
 机の上にはクリップで綴じられたコピーの束がある。その表紙には「The eighth generation person pattern computer beginning manual」と、無機質なワープロ文字で書かれていた。
 それが僕の呻き声のような呟きの原因。
 
【The eighth generation person pattern computer(EGPPC)】
 第八世代人型コンピューター。
 The seventh generation person pattern computer(SGPPC)の次世代規格である。

【The seventh generation person pattern computer(SGPPC)】
 人形をした第七世代のコンピューターで、自立推論回路の発達により自我に近い物を持ち、外見は通常の人間と変わらない。
 各メーカーから様々なデザインのモデルが発売されており、男性型・女性型、外見年齢も10歳前後〜40歳代まで様々。
 値段は最もシンプルな構成のモデルで30万円程度からあり、最も高級なカスタマイズモデルで200万円を超える。

 WMSC社が開発した第八世代人型コンピューター(EGPPC)の試作評価モデル。そのマニュアルが僕の机の上にあるのだ。
 そして、その隣のデスクトップ型PCの液晶モニターには、セットアップ・プログラムが表示されている。

 今、僕が悩んでいるのは、そのセットアップ・プログラムに表示されている文字にある。
『input your age』
 別に年齢ぐらい普通に入力すれば良いと思うのは、人形PCを知らない素人の考えだ。
 これには大きな意味がある。
 18歳未満だと正直に入力すればA-MODEで起動する、18歳以上だと入力すればX-MODEで起動する。
 A-MODEは全年齢モードの意味で、多少の規制がかかるが、X-MODEではその規制は一切かからない。
 それに何故悩むのか。率直に言ってしまえば、X-MODEで起動すると、人形PCとの性行為が可能になるのだ。
 これが普通に市販されている人形PCであれば、僕は迷う事無くX-MODEを選ぶだろう。しかし、これは試作機なのだ。
 そのデータの全てはメーカーに回収されて、製品版となる人形PCへとフィードバックされる。当然、僕との行為の全てがメーカーの担当者に知れるのだ。
 流石にそれは恥かし過ぎる。だから悩んでいたのだ。
「どうするかなぁ……」
 かれこれ、もう1時間程は考えているのだが、その答えは出ていない。
 それは恥かしさ以上に人形PCが魅力的すぎるからなのだ。

 部屋の隅に置かれた、体重計にも似た人形PC専用クレードルの上には、試作評価機であるα(アルファ)が直立の姿勢で立っている。
 そのクレードル経由でデスクトップPCから各種データを送ったり、設定をしたりできるのだ。
 僕は机の上からクレードルの上のαへと視線を移す。
 まだ梱包から出しただけの状態のαは、その素体の上には何も身に着けていない。人間風に言えば全裸の状態だ。
 整ったプロポーションと愛らしい顔立ち、人形PCだとは解っていても、僕の頬は紅潮してしまう。

「………だ………駄目だ!、やっぱり我慢できないよ!」
 これだけ魅力的な女の子の姿をした人型PCを前に、その機能を制限するなんて僕にはできなかった。
 キーボードに手を伸ばして、「18」と偽りの年齢を入力してENTERキーを押す。
『OK. Start with X-MODE.』
 X-MODEで起動する事を告げると、セットアップ・プログラムは次のステップへと進んでいく。
 僕は画面の指示に従ってセットアップを進め、最後の起動ボタンをマウスでクリックする。

 ウィーーーン………

 小さなアクチュエーターの駆動する音と共に、ゆっくりとαの起動が始まった。

「………(ごく)」
 息を飲む僕の目の前で、αの細く長い睫毛が揺れ、ゆっくりと二つの瞳が開かれていく。
 期待と緊張の一瞬だ。僕の掌にも自然と汗が滲んでくる。
 αの瞳は完全に開かれ、そこに感情の色が流れ込んでいく。まるで本物の人間のような瞳だ。
「あ、あ……アルファ?」
 僕は恐る恐る呼びかけながら、クレードルの上のαへと近づいていく。期待と緊張は更に高まっていった。
「はい……マスター?」
 鈴の音のような愛らしい声音で、αは微笑みながら僕の呼びかけに応えた。
(おおおおおおおおっ!!!)
 一瞬にして期待と緊張は感動と喜びへと変わった。

 質疑応答の形での一通りの起動確認を終えると、僕は改めてαの全身を上から下まで眺めた。
 恥かしいという感情は無いのだろう、惜しげも無く美しい肢体を僕の眼前に曝け出して、αは不思議そうに僕を見つめ返している。
「どうかしましたか?」
「あ、いや別にその……うん、何でもないっ!」
 逆に僕の方が恥かしくなってしまう。
「と、とりあえず…アルファの正式な名前を決めないとね」
 α(アルファ)というのは、あくまでも試作評価機としてのコードネームでしかない。起動後に改めて使用者が名前を決めるのだ。
「名前…ですか?」
「うん。どんなのが良いかなぁ……うーん…」


<続く>

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