魔王の後継者

第2話3章:「さすがに疲れた。」

 


この日の朝食のメニューは白米、鱒と香草のマリネ、タマネギとベーコンのスープ。いたってシンプルな内容だが、おそらく他の家とは量だけは違っているだろう。

「いつもながら良く食うわね、あんた」と、クレア。

「でも、つくりがいがありますぅ」と、カーナ。

「健啖家でいらっしゃるんですねぇ」と、モエギ。

「…食い意地が悪いだけではないのか?」と、ウラハ。

そんな女性陣の評価を一身に受けながら食事をしているのは、もちろんフィリオネル君である。朝から水汲みなどの労働をし、いつもより食事の時間が遅いのである。食が進むのは仕方が無い。もっとも彼女達の3倍は口に運んでいればそういう評価が出てきてもおかしくない。

「ご馳走様。おいしかったよ」

最後にスープを飲み干してフィリオネルがのたまう。

「はいはい、おそまつさま。それじゃあたしは例のペンダントの解析でも始めるかね」

「ああ、そういや僕も薪割りしないとだった」

「じゃあ、おかたづけですぅ」

双子を除いた3人が席を立つ、そこに少々ためらいがちに――それでも傍目にはのんびりとした様子で、モエギが声をかけた。

「あの〜。フィリオネル様、私達はどうすればいいんでしょう」

「あ、えーっと…カーナの手伝いしてくれるかな?」

 その言葉にモエギは素直に「はい」と答え、ウラハは一瞬眉を寄せた後に「わかった」と答えた。

「おてつだいしてくれんるですかぁ?たすかりますぅ」

パンと手を合わせてカーナがうれしそうに言う。彼女はまだ知らない、この後に待っている惨状を…

 

「とりあえずこのくらい割ればいいか…」 

台所の勝手口の外にある薪小屋で太い薪を麻縄で束ねる手を止めてひとりごちる。

「そうだ、アルベルト君に連絡入れておかないとな」

懐から3センチほどの真球水晶球を取り出す。その水晶球からいくすじかの光が飛び出し、らまりあう。やがてフィリオネルの目の前にほのかに光る、文字や記号や幾何学模様のような物を映し出した直径40センチほどの半透明の球体が浮かび上がり、薄暗い小屋の中を照らし出す。

「えーっと。アルベルト君に渡した遠話球の波長は、っと。ああ、こうだこうだ。」

フィリオネルの指が球体の表面をなぞるように動く。それにあわせて記号らしき物が明滅して組み変わり水晶球に戻る。先ほどよりはるかに光を増した水晶球にフィリオネルが話し掛ける。

「おーい。アルベルト君、聞こえるかーい?」

するとわずかな沈黙の後に球体から若い男性の声が聞こえてくる。

『フィリオネル様っ?!フィリオネル様ですね!一体今どちらにいらっしゃるんですかっ!』

水晶球から発せられるギャンギャン響くどこか悲壮感漂う声。それに、フィリオネルはのほほんと楽しげな声で答えた。

「相変わらず元気そうだね、アルベルト君。ところで今何処にいるの?」

『今自室に居ります、わたし一人です。そんなことより今一体どちらにいらっしゃるんですか?!まったく半年近くも音沙汰無しで…』

「内緒。教えたら連れ戻しに来るだろ?だから教えなーい。」

対照的な雰囲気で会話は続く。

『ああぁ、なんですかもう。近況を聞いたら切るつもりですか?また何処かに何かを引き取りに来いですか?それともからかわれる為だけに連絡したんですかぁっ?!』

「やだなぁ…それじゃ僕が悪人みたいじゃないか。疑り深いのはよくないよ」

『誰のせいで疑り深くなったと思ってるんですかぁぁぁぁっ!』

「うーん。誰だろうねぇ…」

『くあぁぁ…また、からかわれるための、連絡なんですね…』

水晶球からの声が嘆くように震える。たぶん本当に嘆いているのだろう…

「まっさかぁ、ちょっと持ってきて欲しい物があってね。」

『持ってきて欲しい物…?では今回はきちんと待っていてくださるんですねっ?!』

アルベルトと呼ばれた人物の声が急に勢いづいた。

「そりゃまぁ、こっちはちょっと動けないからね。」

『解りました。それではどちらに何をお持ちすればよろしいのですか?』

おそらくこれが普段の声音であろう、事務的で落ち着いた声でフィリオネルに聞く

「ブローチを二つ、家紋の入った奴を用立てて欲しい。あ、それと幌馬車も。僕は今ヒガン高原のラウベル村にいる。2番目に大きい家にお邪魔してるから。」

対するフィリオネルも真剣な声だった。少なくともその瞬間だけは…

『はっ、確かに承りました。家紋のはいったブローチを二つと幌馬車。ヒガン高原のラウベルの村、2番目に大きな家でございますね。…ところでどのような目的で?』

「教えて欲しい?」

『はい。いままで引き取りに来るように指示されたことはありますが、もって来るようにというのは初めてのことですし。出来ればお聞きしたいものです』

「着いたら教えてあげる。それと場所は父上達には解らないよう適当に誤魔化しておいて、それじゃね」

『誤魔化すっ?!フィリオネル様っ!おまちくださ』

再び大きく響きだした声が途切れる。と同時に唐突に水晶球の光が消える。

そのまま何事も無かったかのように外に出ると、薪束の縄を解いて切り株の台の上に乗せると手斧を振りかぶった。

「せーのっ」

ガシャーン!

家のほうから聞こえた硬質の物が壊れる音にそのまま動きが止まる。そのまま固まっていると…

ガシャシャシャーン!

先ほどよりも大きな音。

………

『それだけはだめですぅ!クレアねえさまのおきにいりぃ!』

カーナの叫び声が聞こえてきた。

なんとなく嫌な予感がした。

「えーっと…」

とりあえず目の前の薪を割り、勝手口へと向かう。

台所の中は…惨状といって差し支えない状態だった。

陶器磁器の皿や、珍しいガラス食器、グラス…だったと思われる残骸の山。

「あらまぁ…大変」

そう言って退かそうとでも思ったのか、テーブルの上の大き目の磁器絵皿をモエギが取り上げる。

「それだけはだめですぅ!クレアねえさまのおきにいりぃ!」

ケンケン、と片足跳びで慌てて近づく、だがバランスを崩したのか、タックルするような形でモエギに突っ込む。

「うにゃぁぁぁぁ!」

「あ、あら〜」

「姉様危ない!」

皿を洗っていたらしいウラハが泡だらけの手を伸ばして支えようとする。だが…

パリ〜ン!

「あ…」

「あら〜」

「ふみゃぁ…ねえさまのおさらがぁぁぁぁ………」

勝手口を開けたフィリオネルの目の前には折り重なった3人と一枚の割れた皿があった。

とりあえず足元にあった皿(だった物)を拾い上げた。

「これ、古代王国期中期の青煙紋薄磁器絵皿じゃないか。」

フィリオネルの指先に光がともり、空中にキャンバスがあるように指が動き術式を描く。術式の中に割れた皿をおく、すると皿は空中にとどまり割れたフィルムを逆回転したように直ってゆく。

「はい、カーナ。直ったよ」

「ありがとうございますぅ」

フィリオネルに引き起こされたカーナが皿を受け取りながら礼を言う。

「怪我は無い?」

「はい。あの…申し訳ありません」

フィリオネルの手を握りながらモエギがあやまる。

「大丈夫だった?」

「…大丈夫じゃ」

差し出された手に一瞬手を伸ばしかけ、結局つかまらずにウラハが立ち上がった。

「とりあえず…片付けようか…」

「はいっ」

「モエギさんはじっとしててくださいぃ」

「………ふぅ」

結局、片付けが終わったのは夕食の準備をしなければならない時間だった。

それというのも、モエギが転びそうになったり、モエギが手を滑らしそうになったり、モエギが指を切ったりして時間がかかったのである。

 

そして夕食後、本日もフィリオネルの部屋でクレアとの情報交換が行われていた。

「ふーん。そんな事がねぇ」

「そうなんだ。お茶を入れるのはこんなにうまいのに、どうして皿を拭いたり片付けたりするだけの事が出来ないんだろう?」

そういってモエギの入れてくれたお茶を飲んだ。ちなみに今日のお茶は青茶という半発酵茶に砂糖とミルクを加えた物である。

「あとね。なんかあの二人、魔力共振してるみたいなんだよ」

「は?魔力共振?遠話球の原理の、アレ?」

「うん。モエギが指切った時、怪我をしていないウラハの方まで声あげたんだよね。それに良く考えてみると、初めに倒れていたとき治した傷、位置や大きさが一緒だったような気がするし。それに今朝、いくら気を抜いてたとはいえ、あそこまで近づかれていて気がつかないなんて変だ、なにか普通とは違う方法で気配を紛らわされたと考えた方が自然だよ。

もしもあの二人の固有魔力波が全く同じだと仮定すれば、位置がつかめなかった事も納得がいくし、怪我の位置が一緒だった事、痛み…感覚を共有した事も一応説明つくんだよ」

「単に、気配つかめなかった理由が欲しかったとか?」

「…そんな事は無いよ」

「今の間は何だ、今の間は」

クレアが笑いながらツッコミを入れる。

「まぁ、そっちの方はおいおい調べるとして、問題はあの二人をどうやって偽装できるかだろ?どうもあの様子じゃメイドに偽装するのは難しいんじゃない?」

「うーん…でも鑑賞用に偽装するのは止めた方がいいと思うんだよね。精神的に不安定になってるだろうし、なにより二人が嫌だろうしさ」

「まぁ、忙しくさせておいて不安を感じさせる暇をなくす、って案自体はいいと思うよ。でもそれだけひどいとねぇ…」

「慣れていってもらうしかないかなぁ…お茶をこれだけうまく入れられるんだから、全くの不器用って事は無いと思うし…」

「信賞必罰ってってのは?多少はミスも減るんじゃない?」

「うーん。考慮に入れたほうが良いのかなぁ…」

しばらくあいだお茶をすする音だけが響く…

「で?結局直せなかったのは?」

「修理不能な陶磁器皿が10枚グラスが6個ってところ。さすがに疲れた。明日は今日の分まで薪割りしないとな…」

クレアのお気に入りの皿は直したことでもあるし。

一度割れた事はあえて黙っていた。

<巻物を閉じる>