魔王の後継者

第1話4章:「あの二人は存在が知られる前に殺してしまうべきだろう」

 


廊下には赤い夕日が差し込んでいた。その中をずりずりとフィリオネルを引きずりながらクレアが歩いていた。

「さあって…困ったねぇ…」

独り言のつもりだったが意外にも返事が返ってきた。

「ねえさまぁ、なにがおこまりなんですかぁ?」

モエギ達よりもすこし年下であろうか。少し舌っ足らずな声と一緒に階段からひょこっと顔をのぞかせたのは山猫族と呼ばれる少女だった。

魔族の命名方法はかなり単純だ。外見上の特徴などから○○族などと呼ばれる。むろんそれだけではないが、銀狼族ならばシルバーブロンドの髪に狼の耳といった具合にシンプルな場合が多い。

彼女の場合は大きくくりっとした緑の瞳に縦の虹彩。頭の上には短めの茶色の猫の耳が乗っている。笑いかけた口元には少し大きめの八重歯が除いていた。

「ああ、カーナ、ちょっとね。それよりどうしたんだい?階段上ってきて」

「どうしたんだじゃありません。ゆうしょくができたからよんでくるっていったのに、そのねえさままでこないからよびにきたんですぅ」

頬をぷくっと膨らませて階段を上ってきたカーナは軽く左足を引きずりながらクレアのもとまでやってくるとあきれた声を上げた。

「はりゃ?またフィリオネルさまがたおれてますねぇ…どうしたんですか」

「倒れてますねぇ…じゃなくて、少しは心配してよカーナ」

「あんたもうしゃべるの?まったく象だって4時間は動けないようなの食らってまぁ。」

フィリオネルが返事を返したことに態度と声であきれた様子をクレアが見せる。カーナが笑いながら続けた。

「いつものことですぅ」

クレアはカーナを抱えると笑いかけた。

「さて、今日の夕食はなにかねぇ」

「きょうはハナンさんからひつじにくをもらったのでおだんごスープですぅ」

「んーそりゃ楽しみだ」

そのまま階段に向かおうとするクレアにフィリオネルが情けない声を上げる。

「ちょっと姉さん」

「下にいったって動けなきゃ食えないだろ?なら痺れとれるまで待ってなよ」

「だからって廊下に置き去りにしなくたっていいじゃないか」

そんな抗議の声に振り向くと意地悪そうにこう続けた。

「引きずってなら運んでやるけど?」

途中には階段がある。

フィリオネルは即答した。

「置き去りでいいです。」

しばらくするとクレアが二人分であろう食事を持ってきたが、当然フィリオネルの分は無い。

結局フィリオネルが食事にありつけたのは、それからさらに1時間後のことだった。

 

 

 

 

夜、フィリオネルの部屋。魔術によって作られた小さな光がテーブルに向かいあった二人の人物の影を揺らしている。

「あの二人が本物だって言うんだね」

手の中でカップを手遊びながらクレアが渋面を作って言う。

「可能性は高いって言ってるんだけど」

対してフィリオネルはカップに口をつけながらのほほんと言った。

「その根拠は?」

フィリオネルは直接答えずに一冊の本を差し出した。

「なんだ『魔王後伝』の写本じゃないか。これがどうしたってゆうのさ」

「そのしおりのはさんである所を開いてみてよ」

クレアはフィリオネルの顔を見た。だが湯気で曇った眼鏡からは表情は読み取れない。

「えーっと「在位20年にしてティルは魔王位を王太子ディアールに譲った。しかし新たな魔王となったディアールには子がおらず、4人の姉たちの子を競わせ、自分と四人の姉達で新たな王太子を選ぶ事を決めた。これが王太子の儀の始まりである。ディアールは姉達とその血筋をそれぞれ王家とした。すなわちナズナ王家、シオン王家、スサザ王家、サクラ王家である」…おや?」

「たしかモエギ・ネイザード・サクラ・フォーンって言ってたっけ。その記述から推察すれば彼女達はサクラ王家の人物だって事だね」

だがそれに対するクレアの反応はあっさりしたものだった。

「あんたねぇ…まさかこれが証明になるなんて思ってんの?こいつは200年前に書かれた偽書じゃない」

「じゃあそれが偽書だって根拠は?」

「何言ってんだか。いいかい?300年前魔王は忽然と姿を消した。天壁山脈をこえたって事すら確認されてないんだよ。なぜならこの300年天壁山脈をこえた者はいないから」

説明している途中から表情が曇った。なにかが引っかかる。

フィリオネルが後を続ける。

「それと、魔王後伝の筆者は本の中で自分のことを「学院魔術師」と書いているけど200年前、当時まだ「学院魔術師」って呼称はない、だよね。でもさその本は偽書だけど、内容まで偽物とは限らないんじゃない?」

それはクレアにとって思いつきもしなかった発想の転換だった。先ほどの引っかかり、違和感がさらに大きくなる。

「なら…あの二人はこれを読んだ事あるのかもしれないよ」

「それは無いよ。姉さん」

さめかけた紅茶を口に含んで続ける。

「本物は学院魔術師でなけりゃ見ること出来ないし、貸し出しだってしてない。そんなものを黒髪族が見れるはずが無いよ。そうそう別のページには、あの子の言っていた町の名前に、祈りの滝と成人の儀に関する記述もあったかな」

どこかとぼけたように言うフィリオネルが言う。なにか…わざと違和感があるように言っていると感じられた。

クレアは違和感の正体に気づいた。

フィリオネルの考え方は二人が本物であることを前提にしているのだ。逆にいえば本物であるという確信を持たせるだけの何かを…

「あんたなんか隠してるね」

その言葉ににっこり笑ってフィリオネルが取り出したもの。それはモエギが身に付けていたペンダントだった。

「このペンダントが二人の倒れていた傍にあったんだ。」

「それは………緑瞳のペンダント…」

中央の緑色の石とそこから放射状に広がり枝のようにからまる無数の線が描かれたペンダント。

それは紫瞳の魔王が身に付けていたという六つの導具の一つ。伝承では魔王がそれを掲げると一瞬のうちにその身は別の戦場へと移ったと言う。

伝承の中にしか存在していなかったものが今そこにある。

「ちょ、ちょっとお見せ」

奪うようにペンダントを取ると、まるで睨むように見つめだした。

「…中央の呪石と…………このラインが経路になってて………内部の方まで経路が?………立体型、いや重積型の術式?…………」

「おーい、ねぇさーん。…駄目だ聞こえてないや。珍しい導具を見るとすぐこれだもんな」

飽きれた様にいうフィリオネル。その様子が先ほどの自分そっくりだと気がついてない。上気した顔のクレアが顔を上げた時にはカップの中身はすっかり冷めきっていた。

「どう?姉さん」

カップに新しい紅茶を注ぎながらフィリオネルが聞いた。

「ああ、こりゃすごいよ本当に…。樹状構造が基本なんだけど所々それが反転してたり反復経路を形成してたり…」

どこかぼうっとした表情で説明するクレアにフィリオネルが苦笑する。

「そりゃ良かった。実はそのペンダントの術式を解析してもらおうかと思ってたんだ」

「ああ、そりゃ喜んで引き受けるけど。あんたはいいの?魔王の持っていた品だよ」

少し表情を硬くしてフィリオネルが言う。

「そんな暇はなくなると思うよ。たぶんね」

その言葉にクレアがいぶかしんだ。

「あの二人は危険なんだ。いろんな意味でね」

そう前置きをすると今度は表情を消して続けた。

「この国は5年前の戦役で空いた穴を埋めようと必死だ。そのせいで奴隷からの搾取はいっそう厳しいものとなり、魔族に反抗の機運が強くなって来ている。現に逃亡奴隷によるものと思われる傷害事件や魔族の山賊だってある。…魔族が反乱を起こすとしたらこれ以上の旗印は無い」

そこまで話すと軽くのどを潤して続けた。

「為政者としてはそんな存在は認めるわけには行かないだろうね。知られたが最後、消されることは間違いない、もちろん黒髪族ってだけでも同様の心配はあるけどね。一番最悪なのは魔族の反乱勢力が彼女達を利用した場合だろう。この国は侵略によって大きくなった国だ、外だけじゃなく中にも目を光らせなくちゃならない。一年でも魔族の反乱が続けばそれに乗じて内乱が起こる可能性だってある」

その瞳に暗いものが加わった。

「貴族の末席に連なるものとしては…」

いったん言葉が途切れる。

「あの二人は存在が知られる前に殺してしまうべきだろう」

しばしの沈黙。

「けれどあんたは連れてきた。」

クレアは厳しい表情で言い返した。フィリオネルの表情が緩む。

「うん。僕は貴族である前に魔術師だ。そして魔術師である前に…」

「魔術師である前に人間…だろ?」

クレアがフィリオネルの言葉を穏やかに引き継いだ。

「ひどいな。人の台詞取っちゃうなんて」

「似合わないこと言ってるからさ。やめときな悪役なんて」

フィリオネルが苦笑する。どこか安堵した様子で…

「師匠がよく言ってたね。「魔術師である前に人間として行動しろ」って。」

「師匠か…まったくこうゆう時こそいて欲しいもんだけどねぇ」

クレアが天井を仰ぎながらそう苦笑する。

「しょうがないよ。あの人は一度旅に出たら連絡ついたことなんて無いじゃないか」

「あんただって一緒でしょうが」

クレアの突っ込みをフィリオネルは笑ってごまかした。

「さて、それじゃ今度どうするか決めようか」

この日、フィリオネルの部屋からは夜遅くまで明かりが漏れていた。

 

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