魔王の後継者

第1話3章:「一体、どうなるんじゃ…」

 


「あ…ぐ……うぅぅう………」

床に突っ伏したままでうめき声をあげるフィリオネル。

「………」

青ざめた顔で沈黙を続けるウラハ。

「…ったくもって…」

ハリセンを握ったまま髪を掻き揚げるクレア。

「まぁ……」

口に手をあて、そう小さくつぶやいてフィリオネルのそばにモエギがひざをついた。

「あの〜…大丈夫ですか?」

「う…ぁ…」

なんとか無事であることを伝えようとするが…四肢と舌が痺れたままで意味のある言葉にならない。

(何も術まで発動すること無いだろ?姉さん…)

しょうがなく胸の中でつぶやく。

「あー心配ないって。ちょっと痺れているだけだからさ。」

「ですが…」

フィリオネルの顔を覗き込むと

「大丈夫ですか?」と繰り返した。

もともとゆったりとしたつくりの服、大柄なクレアの着用していた物で、さらに膝をついてかがみこんでいる。つまり…胸元が大きく開いている。

光がささないので陰影だけだが、鎖骨下のなだらかなラインが見えている。もう少しかがめば…

顔をそらそうにも、注意しようにも痺れのせいでできない。

(…もうちょっとで……じゃなくて!

…不可抗力だよなこれは。…うん、不可抗力だ。)

とりあえずそのままでいることにする。

目を閉じればいいことには…頭のどこかが気づくのを拒否していた。

「大丈夫だってば。殺したって死なないような奴なんだから。それよりもあんた達のことを聞かせておくれよ。そうだねぇ…まずどうやって来たか、からかね。」

聞いてる内容はフィリオネルと変わりない。ちょうど正座ような格好で頼りなげにモエギが答えた。

「どうやって、と言われましても…私達は成人の儀を終えて王都へと帰るところだったのですが……」

「どうしてって…あんた達にもわかんないのかい?」

黙ってうなずく困惑顔のモエギに、さらに困った表情でクレアが返した。

「とりあえず分かることだけ言ってみなよ。もしかしたらわかるかもいしれないしさ」

「はい…」

少しの間目を閉じ、話す内容を整理していたモエギは程なく目を開いた。

「私達は祈りの滝で、あ…祈りの滝というのは聖域の一つでしてぇ、聖域というのは初代様が定めた場所のことでして…えっとぉ、初代様は紫瞳の魔王として有名ですから知ってますよね…。それで成人の儀を終えてですねぇ…王都へと帰るところだったのです。えっと王都の名前はフォーンと言いまして、これは初代様の名前から取られているわけですけど…国そのものの名前もフォーンって言うんです、不思議ですよねぇ…。あ、話がそれてしまいました。それでですねぇ祈りの滝からコクト、カナッゾと通り過ぎまして、コクトとカナッゾというのは町の名前です。どちらも小さい町ですけど良いところで、特にお魚の焼き物が辛くなく薄くなく程よい塩味でしたわ。それでですねぇ…」

「ま、待っ、ちょっと待った。簡単に頼むよ。町とかはいいから。ええと、そう。わからなくなる直前くらい」

たどたどしいくせに、それでいてこちらが注意しようとする瞬間に、まるで計ったように話が再開するモエギの話し方に、クレアはようやく割り込めた。そして、なるほどとも思った。妹のほうの断定的な口調はモエギと話をするのに効果的なのだろうと。

「はぁ…えっと。馬車でカナッゾの町からクロロの町へと続く山道を通っていて…それで…突然馬車が走り出したんです。そういえば何かの音が聞こえたような、こう…ぱーん!って感じの音で。その後ふわっと体が浮いたような感じがして、窓から沢が見えたんです。ああ、落ちるんだなって思って。それで、気が付いたらここに…」

「う、うーん。」

わかったようなわからないような…とにかく現状に役に立ちそうな情報は無いように思える。

(こりゃますます厄介だわ…)

『紫瞳の魔王ティル・フォーン』彼の起こした反乱は俗に『魔王の乱』と呼ばれている。『魔族』という呼び名も、『魔王』という言葉も、300年前に起こったこの魔王の乱がきっかけで定着したものだ。特に『魔族』はそれ以前は『忌み子』と呼ばれていたものがこのときを境に変わっている。もちろん300年間魔族の反乱が無かったわけではない、自称魔王も何人もいた。しかし、ただ『魔王』と言った時、ほとんどの人が思い浮かべるのはティル・フォーンなのだ。

魔族のほとんどが奴隷として暮らし、それ以外は社会と隔絶した少数の蛮族として暮らすか、さらにごく稀に市民として暮らしている現状。魔術師が認められ普通に暮らしていける社会――たとえ多少の差別があったとしても――これらも元をたどれば300年前のその時を契機に成り立っている。それほどの大きな事件だったのだ。

故に、黒糸族は確認されているすべてが管理されている。

それもすべて所有者による直接管理が求められている。危険視されており、厳重に管理されている。もっとも現在では数が激減しており、危険性というよりも一種のステータスとして所有されていることのほうが多いが…

はじめは、その管理を掻い潜り何処からか逃げ出したものだとばかり思っていた。絹の服など着ているのだ、よほど大事に――人間としてかどうかは別にして――されているのだと思った。所有者が現れれば返してやるのが筋というもの。もちろんそれなりの謝礼は期待できただろう。

可能性は低いが、もし何処かに確認されていない黒糸族の集落があり、そこから来たのなら。そのときはその集落に返してやればいい。善意から――ではない。もしもこの村の近くに集落が存在する可能性があると知られれば。たちまち一攫千金を狙う山師が入り込むだろう、ことによると所有を望む貴族が山狩りすらするかもしれない。そうなればせっかくの平穏な暮らしが邪魔される。クレアとしてはそんな事態は歓迎できない。

ところが、この二人はよりによって紫瞳の魔王の子孫で大陸の東側から来たと言ってるのだ。しかも本人がどうやってきたのかもわからない。せめて来た方法がわかれば追い返…もとい、丁重にお帰り願うこともできるだろうがそれも出来ない。

(やっかいだわ…)

「あの…どうかなさいましたか?」

その辺の事情をまったく理解せず、理解できるほどの情報も持ってないのだから仕方ないかもしれないが、のほほんと聞いてくるモエギに一瞬怒りすら覚える。

「あー…とにかく。…今日は休みな」

投げやりにそう答えてるのがやっとだ。

「はい。わかりました。」

扉の前まで足を運んで、フィリオネルを忘れていたことを思い出した。足首をつかんでずりずり引きずりながら外に出た。

「一体、どうなるんじゃ…」

(こっちが知りたいくらいだって…)

扉を閉める瞬間に聞こえたつぶやきに心の中で返して、そのまま居間に向かうクレアだった。

 

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