魔王の後継者

第1話2章:「落ち着きなって言ってるでしょうが!」

 


「ちょっと、大丈夫かい?」
そうフィリオネルが問いただしたのは自然なことだったろう。『太陽が東に沈んでる』などとおかしなことを言うはずがない。少なくとも正気であるならば。
その声に少女――モエギ――がフィリオネルを見上げる。

「あ…」

小さく声を上げて、一瞬大きく目を見開くと、呆けたようにフィリオネルの顔を見続けている。
見ようによっては思慕のまなざしにも見えなくない。ハリセンをいじりながらクレアはそんな感想を心の中でつぶやいた。
ベッドに体を起こす少女とそれを気遣うように見る青年。そこだけを切り取ればまるで物語のひとコマに見えなくもない。だが、まるで自分が取り残されるのを拒むようにウラハが声をかけた。

「ね、姉様、何をいっておるのじゃ?」
「あ、ウラハ。あのね、山脈がね、真っ赤の染まってるのよ。」

ちらりと窓の外を見た後でにっこり笑ってこう続けた。

「あれは多分、天壁山脈だと思うの。その山脈が赤くなってるって事は、太陽が東にあるからでしょう?」
「いったい何を言っぶっっ!……」

口をはさみかけたフィリオネルの顔面に音もなくハリセンがぶつけられた。と、いっても音がしないのだからそれほど痛いわけではない。行動だけでフィリオネルに意思を伝えるためにやったのだ『すこし様子を見よう』という意図である。

「だけど太陽が東から昇るわけがないではありませんか。普通に考えればあれは朝焼けではありませんか?」

疑問に思ったのはフィリオネルだけではなかったらしくウラハがそう答える。
横顔に恨みがましい視線を感じながらクレアは思った。
(まさかフィルがこんなに取り乱すとはね…)
だが、それも仕方ないのかも知れない。
魔術師は自分の研究テーマにそったことに強い関心を寄せる。多かれ少なかれそうゆうものだ。自分だって貴族の文献が発見されれば普通でいられないだろう。フィルは『紫瞳の魔王』を研究している。そして目の前の二人はどんな資料にも勝る最高の情報を与えてくれるかもしれないのだ。
そんなことを考えている間にも二人の会話は進んでいく。

「でもね。あちらの空はだんだん暗くなっていくのよ。」
「それでも!太陽が東に沈むわけがないでしょう。ならばあちらが東なのです!」

でも、と再び思う。フィルがこの二人に関心を寄せ始めたのは今ではない。二人を担ぎこんだときから
――いや、おそらく黒糸族とわかったときからに違いない――こんな様子だったのだ。何度もこの部屋に足を運んでいたのだから。

「じゃあここは大陸の西側なのね。」

その言葉の意味にウラハの表情が凍りついた。そして慌てて言葉をつむぐ。

「ま、まった!姉様。そのようなはずがなかろう!あ、いや、そもそもあれが天壁山脈とは限らないではないではないか!」

あせっているのが言葉にみだれとなって表れてくる。

「うーん。それじゃあここはどこなのかしら?」

そこにフィリオネルが言葉をはさんだ。

「あのさ…」

と、ちらりとクレアを見て――今度はハリセンが飛んでこないのを確認して――言葉を続ける。

「話を聞いてると、その、君たちは大陸の東側から来たって事かい?」
「何を言っておるのじゃ!まるで自分は西側に住んでるとでも……西側に…………西側……なのか?」

勢いよく飛び出した声も最後には弱弱しく、まるで泣き出してしまうかのようにふるえている。その様子に少し気の毒そうにフィリオネルが事実を告げた。

「うん。ここはラウベルの村。その、大陸の西側だよ。」

その言葉にウラハの顔が青ざめていく。その様子に気づいているだろうが、それでも押さえ切れなかったのだろう。矢継ぎ早に質問を投げかけた。

「でも、君たちはどうやって来たんだい?あの天壁山脈はこの300年、いや魔道王国滅亡からだから500年、誰も超えた者は確認されてないのに。それにさっきフォーンって言ったよね。あの『紫瞳の魔王』の子孫って事なのかい?そうそう、それに何の目的できたんだい?」
「ええっと…」

その勢いに押されたのようにモエギがつぶやいた、その時だった。

「落ち着きなって…」

ぎゅっと右手を握りこみ大きく振りかぶる。

「言ってる…」

肩から肘、そして手首からハリセンの先端まで、一本の鞭のようにしなやかに弧を描く。

「でしょうが!」

スパァァァーン!

スピード、切れ、音、どれを取っても本日最高の一発がフィリオネルを見舞ったのだった。

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