魔王の後継者
第1話1章:「……お日様が東に沈んでいるわ……」
ラクターン地方ヒガン高原にある小さな村。酪農と農業が主体のラウベルという村にその家はあった。村で2番目に大きなその家はこう呼ばれていた。
薬草屋さん、あるいは先生の家。魔術師が疎まれがちなこの世界で、親しみを込めて呼ばれる希有な例の一つだ。その家に二人の少女が担ぎ込まれた。
いつものんびりしている彼のその慌てぶりに村人たちは驚いたが担いでいる少女たちを見て納得した。血で染まり、ぼろぼろに裂けたてはいるが、こんな田舎では見た事も無い絹のドレス。
そして夕日が遠く天壁山脈を赤く染め上げ、牧童たちが羊をまとめる頃。少女の一人が目を覚ました。
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物置部屋。それが目を覚ましたウラハが見たその部屋の印象だった。
窓から入る光が部屋の様子を浮かび上がらせる。物置の様にも見えるし、単に散らかった様にも見える部屋。タンスと机、それに今自分が寝ているベッド。なぜか壁際にプレートメイルがある。それ以外の場所には箱や重ねられた本が床を埋め尽くしてる。
そんな事が寝ぼけた頭に浮かんでは消えていったが、すぐとなりから聞こえてくる姉の寝息が、ようやく思考が現実のものにさせてきた。
(ここは何処じゃ?)
重い頭を振り記憶をたどってみた。王都に向けて馬車に乗っていた。突然馬が暴れだした。そして沢に落ちたらしい。
(とにかく助かったようじゃな)
「姉様起きてくだされ、姉様」
「ん……」
モエギが寝ぼけたまま上体を起こす。するりとすべり落ちた毛布の下から白い肌と形の良い乳が表れた。
「ちょ、ちょっと姉様」
ウラハが慌てて隠そうとすると、ようやく自分も同じ格好でいる事に気が付いた。
と、その時……
「ああ、気が付いたよう…………」
ドアの音と共に眼鏡の青年が部屋に入って来た。しばし硬直する二人と、寝ぼけたままの一人。
青年の視線を追うと、それは顔よりも少し下の方にあった。
「きゃぁぁぁぁっ!」
「わ、悪い」
すぐさま後ろを向いて青年がつぶやく、だがそれも耳に入ってない様子だ。
「ぶ、ぶ、無礼者!な、な、な」
「あー、いや、そのだな」
ウラハは怒りのあまり言葉が出てこない。青年はとりあえず理由を説明しようと考えても、しばし二人の胸に見入ってしまった事は否定できずにうまく言葉が見付からない。
どちらにとっても気まずい時間を破ったのは小さなあくびだった。
「ふわぁ…………」
「ね、姉様。姉様もなにかこやつに言うのじゃ」
「えっと……」
しばらくきょろきょろと辺りを見回した後
「おはようウラハ」
「姉様ぁ……」
こんな時だというのに、いつもと変わらぬ穏やかな声のモエギに、おもわず脱力するウラハ。あからさまにほっとした様子を見せる青年の後ろ姿と三者三様のその姿は苦笑を誘うのに充分だったが残念ながらその様子を見ているものはいなかった。
「えーっとぉ……そちらの方は?」
「無礼者じゃ!」
人差し指をあごに当てて小さく首をかしげるモエギにきっぱりとウラハが答える。
「あのブレイモノさん、ここはどこでしょうか?」
「あー。まずは名前の訂正からさせてもらうけど、俺はブレイモノなんて名前じゃない。フィリオネルだ。フィリオネル・マクスウェル・シュミット」
疲れた様に肩を落としながら青年が、フィリオネルがそう答えた。
「まぁ、それは失礼いたしました」
「ブレイモノで充分じゃ……」
二人共同じ声なのでフィリオネルには区別が付かない。とりあえず片方は怒っていないらしいと感じてそのまま言葉を続けた。
ちなみに素直に謝っているのはモエギの方、不機嫌そうにつぶやいているのはウラハの方である。
「そしてここは俺の師匠の家。この部屋は一応客間なんだけど、まぁ見ての通りほとんど物置になっていてね。悪いけど空いてる部屋はここしかなかったんでね」
「そのような事よりも!なぜわらわ達が裸なのかを説明せぬか!返答いかんによっては……」
「あら本当、なにも着てないわ」
「……もっと早よう気付いてくだされ……」
なるべく威厳のあるような声で言おうとしても、姉の一言でどうにも間抜けなやりとりになってしまう。その事に気が付いてはいたが、それでもツッコミを入れずにはいられないウラハであった。
その時ちょうど戸口に新たな人物があわられた。
「フィル。なに遊んでるんだい?」
年は20代半ばくらい、豊かな金髪と少し厚めの唇は十分印象的だろうが、それを越えて目を引くのはその胸だろう。
ローブを下から押し上げる――果物に例えれば夏みかんほどの大きさだろうか――その胸が動いたひょうしにぶるんっと揺れた。
「あ、姉さん。別に遊んでるつもりはないけど。」
「ま、良いけどね。ほいあんた達、とりあえずこれ着な。あたしの寝巻だからちょいと大きいかも知れんけどね」
無雑作に放り投げると手近な箱に座ってキセルを取り出し刻み煙草を詰めだす。
その様子にむっとした顔をしたウラハだったが、不機嫌さより裸の不安がまさったらしくおとなしく着込んだ。モエギはと言うと先ほどから部屋の中ををぼおっと眺めていたがネグリジェを渡されると素直に着て今度はまた窓の外を見はじめた。
「んで?あんたら何者なんだい?」
そう言ってキセルの煙草に火を付けた。
(何者?……じゃと?!)
何という礼儀知らずだろう。この男といい、その姉といい。
双子の黒髪族、成人の儀はまだとはいえこの年までそろって生き残っているのはフォーン広しといえども彼女達二人だけなのだ。
「そういうお主らこそ何者なのじゃ!」
怒りと威厳を込めて睨み付ける。そうすれば大抵の相手は非礼を詫び、許しを請う。……はずだった。
「先に聞いてるのはこっちだよ。」
ふぃーー。と、言葉と一緒に煙が吐き出された。
「大体ね。人の弟分に無礼者だのなんだの言ってたみたいだけど、命の恩人にそれはないんじゃないの?大した胸でもないんだしさぁ。」
「こほっ、ごほっ。い、命の恩人……ごほっ……じゃと?」
文字どおり煙に巻かれたウラハがそう口にした。最後の一言にはむっと来たが、それでも「命の恩人」とまで言われれば無視できない言葉だ。
たとえ非礼で傍若無人で色気過多で高圧的な、一言で言えば気に食わない相手であろうと。いや、だからこそ文化的で理性的な見本を示してやらねばならぬ。
それに、もしかしたら姉弟は自分たちが何者なのか本当に分からないのかもしれない。それならば自分の身分を明かしたら……少々意地悪いが……どれほどあわてるかも見物じゃ。
「わらわはサクラ王家が第2王女、ウラハ・ネイザード・サクラ・フォーン。そして姉のモエギ・ネイザード・サクラ・フォーンじゃ。
さぁ、答えてもらおうか。お主らは何者じゃ?なぜわらわ達が裸なのじゃ?それに命の恩人とはどういう事じゃ?」
こころもち胸をはり、まるで勝利宣言をするかのようである。
「……フォーンだって?」
(やっと気が付いたのか、顔が見れないのは残念じゃがな。)
と、次の瞬間。眼鏡をかけた顔が眼前にあった。
「わ、はわわっ?!」
(い、いつのまに目の前に移動したのじゃ!)
「今、フォーンって言ったよね?一体どうゆう事なんだい?」
ドキッ!
眼鏡の奥に、氷のような鋭さでウラハをにらむ瞳があった。視線を受け止める、ただそれだけの事に心臓が早鐘を打っていた。
「緑の瞳で黒い髪……君は黒髪種だよね。」
フィリオネル自身はにらんでいるつもりはない。だが、そこにこめられた意志の力がウラハを圧倒した。
「君たちはもしかして紫瞳の魔王の関係者…子孫なのかい?」
心が抑えられる。質問されてる事は分かる……でも内容を理解できる余裕が無い……
「わ、わらわ……わらわは……」
さきほどの勢いは全く無い。自分が小さくつぶやいている事すら気付いてないだろう。ウラハは完全にフィリオネルにのまれていた。
「どうなんだい?」
ずいっ、と更に顔が近づこうとする。ウラハは無意識に目をつむりあとずさった瞬間。
スパーン!と小気味良い音と共にフィリオネルの頭がベッドに沈んだ。
「怖がらせてどうすんだい」
頭の上にはハリセンが乗っており……その持ち手の部分はクレアが握っていた。
「別に怖がらせるつもりは……」
スパパーン!
「あんたの、その身長で顔近づけたら威圧してるも同然だって、何度も言ってるでしょうが」
「う……分かったから頭からどけてくれない?」
フィリオネルが立ち上がった。音の割に痛かったらしく何度か首を回してほぐしている。
「……たいへん。」
その時、外を見ていて会話に加わっていなかったモエギが不意にもらした。
「……お日様が東に沈んでいるわ……」
「「「はぁ?!」」」
奇しくも、モエギを除く全員の声が合わさった。
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